エックスマルチプライ

R-TYPEを思いだすような音楽と映像

1989年だねこのゲームが発売されたのは。

触手がうにゅうにゅ動くのがキモかっこいーと思ったしアイレムの横シューティングといったらやならきゃならない病気にかかっていたからハマった。

イメージファイトに比べると難しくはなかったんだけどとにかく雰囲気がR-TYPEに似てて好きだった。グロいのが好きなわけではないんだけどね。

安全地帯が多いゲームだった印象だなぁ。

もうバブル全盛で何でもかんでもお金で処理できていた時代だった。

今の中国みたいな感じだったのかもしれないね。
学生だったからそんなにお金にまつわる話は無かったけど学生でも全然、お金に困ることは無かった。

全国的なのか横浜だけなのかはわからないけど、当時はラルフローレンのボタンダウンがすごい人気だった。小さい馬のロゴが付いてるやつね。

ラルフにチノパンとモカシンっていうのが当時のファッションだったな。

ペイトンプレイスも人気あったね🤫

ラルフローレンのシャツ

当時、ツキイチだか毎週だか忘れたけどインターナショナルスクールで週末にパーティやっててね。そこにオシャレしていくのが楽しみだったな。

セントジョセフとサンモールって名前だったと思うけどまだあるのかなぁ。

そのころのインターナショナルスクールというと外国人かハーフしかいなかったし、めちゃお金持ちの家の子ばっかりだった。

アメリカからお父さんの都合で日本に来た子なんかは車の免許もっててガチで自分の国でフェラーリとか乗ってる子もいた。

あの人たちはみんな、派手というかスタイリッシュだったな。あの頃はファッションといえば元町だったな。

話それたね。

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エックスマルチプライの英語エンディング

YOU ARE BRAVE !

YOU ARE GREAT !

YOU DETECTED WHERE I WAS, FOUND OUT MY SOFT SPOT, AND RISKED YOUR LIFE IN THIS BATTLE.

ARE YOU, HOWEVER ITS VICTOR?

I HAVE INTELLIGENCE.

I HAVE POWER.

DO YOU KOW WHAT I AM ?

I SHALL PLAGUE YOU FOREVER.

ボスからのメッセージをGOOGLE先生で翻訳

あなたは勇敢です !

あなたは素晴らしいです!

あなたは私がどこにいるのかを発見し、私のソフトスポットを見つけ、この戦いであなたの人生を危険にさらしました。

あなたは、その勝利者だけど?

私は知性を持っています。

私は力を持っています。

あなたは私が何であるか知っていますか?

私は永遠にあなたをプラグします。

エックスマルチプライの英語エンディングを訳してみた

おまえは勇敢だ!

おまえはよくやった!

おまえはこの戦いで私がどこにいるか探し出し、弱点を探し当て、そして自分の命を危険にさらした。

だが、おまえは本当に勝ったのか?

私には知性がある

私には力がある

おまえにわかるか?

おまえはこれから永遠に苦悶するだろう

覚えておきたい単語

detected:見つける、探しあてる
brave:勇敢
find out:見つける、探し当てる
victor:勝者
intelligence:知性
plague:疫病、やっかいもの、悩ます

昭和が1ヵ月で終わり平成になりプリプリが大流行

わずか1ヵ月で昭和が終わってしまい平成が始まったのがこの年だった。昭和天皇が御隠れになられたということでテレビが全部(テレ東だけはアニメながしてたかも)天皇一色になってしまったためレンタルビデオ屋が大繁盛したのが記憶に残っている。

ちょうど、ウチの近くにレンタルビデオ屋が出来て通いやすかったので良く映画を借りてた。

アダルト系のコーナーにはカーテンがあって区切られててね、なんか入っちゃいけない思いと借りたい想いが交錯してたね。

当時のシャバ増はみんな葛藤してたと思うよ😙

だって興味あるお年頃だしね🤩🤩

ゲームだと家庭用ゲーム機から携帯用ゲーム機へシフトした時代でもあったかな、任天堂からゲームボーイが発売されて外でもゲームが出来るという時代になった。

電車の中でゲームしてるサラリーマンと新聞を四つ折りにして器用に読んでるおっさんとが共存してた時代だね。

プリンセスプリンセスがめちゃ流行った年でもあって女子バンド全盛時代だった。

他の事務所から似たような女性バンドがポンポンデビューしてきた。
自分はどっちかというとプリプリよりもPink Sapphire派でね。デビュー曲のP.S. I Love Youって曲が好きだったな。

女性のファッションはワンレン一拓だったね。森高千里が学園祭クイーンって言われてた時代だったけど、なぜかそっちよりも千堂あきほのほうにハマっていたね。

なんかぶっちぎりの一番ってなんか当時から好きじゃないんだよね。

千堂あきほ

このころはカラオケもスナックとか公民館の寄り合いとかじゃなくカラオケボックスで友達同士で唄えるようになってた。

オウムのマークのついたレーザーディスクの時代だね。

学校が終わるとカラオケボックス行くか横浜のマイアミという喫茶店で何時間もテーブル麻雀しながらダベるかどっちかだった。

バービーボーイズとかサザン、パーソンズ、米米クラブなんかが人気あったけど個人的にはコンプレックスが好きだったな。

記事を書きながらとなりのパソコンで1989年の流行ソングかけてるけどほとんど唄えるもん。

この時代が青春だったんだろうね。